ことばの種(STさんのつぶやき)

「うさぎ🐇」の年です🎍

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

今年はうさぎ🐇年ですね。

ピョンピョン跳ねるウサちゃんにあやかり、

飛躍・向上の年とも言われます。

 

それから、陸上競技(長距離走)の世界では、

より良い記録を出すために伴走するランナーの

ことを「ラビット」と呼ぶそうですね。

 

若い頃に勤めていた学習塾で、先輩講師から

たびたび言われたのが、

「子どもにとっての、良き伴走者であれ」

ということです。

 

大人が「教える」というスタンスだと、

応じにくい子ども達は多いです。

また、大人の側にとっても、子ども達の様子や、

本当の「思い」が見えにくくなります。

 

「上」から、または「はるか前方」から、

「こっちだよ❗️さあ、がんばって‼️」というよりも、

傍らに寄り添って、一緒に走る方が、

大人の意図や、今するべきことがわかりやすいです。

 

大人にとっても、表情やちょっとした仕草などから

子ども達が何に困っているのか、どうして応じられないのか、

または、どうしたら応じられるのか、支援の手がかりを

見つけやすいです🔎

 

今年はうさぎ年🐇

子ども達にとっての、良き「ラビット🐰」を

目指します。

 

(このことは、社会福祉法人くじらの保育で大切にしている

ことのうち、「個々のやりたいことを達成できる伴奏者になる。」

という一節ともつながっていきますね。)

 

*来週1月9日(月)は祝日のため、10日(火)の

更新とさせていただきます。

年末年始🎍

この週末はクリスマスでしたね。

皆さんのお家にはサンタクロース🎅は訪れたのでしょうか?

(我が家の小学生のところにも来たのですが、プレゼントを抱きしめて

「ありがとう❤️」と言われたので、正体は知っていそうです。)

 

さて、次はお正月ですね🌅 

年末年始に旅行や帰省を計画されているご家庭も多いでしょう逆に、帰省する親族を迎えるご家庭もあるでしょうか?

 

いつもと違う生活の流れに、子ども達が戸惑うことがあるかもしれませんね。

 

可能であれば、就寝・起床時間や、お食事、歯磨き、お風呂等々のルーティンを、

大きく変えることのないように、生活リズムを整えてあげたいところです。

 

…とはいえ、全くいつも通りに生活するのは難しいと思います。

 

そこで、有効と考える工夫として、「予告」することをオススメします。

 

写真や絵などで、「ご飯🍙を食べるよ」「歯磨き🪥するよ」

「おうち🏠に帰るよ」などと知らせてあげることで、

普段と違う流れでも、応じやすくなります。

 

「10数えたら〜するよ」という声かけも有効なことが多いです。

数字が読めるようなら、時計を見せて、「(長い針が)〇〇になったら」

というのもいいですね。

 

私は、分針の先にてんとう虫のシールを貼って、マスキングテープで作った

お花で数字を指定し、「てんとう虫がお花に止まったら」と声かけしていました。

 

大きいお子さんなら、1日の流れやお休み中の予定を、簡単な予定表やカレンダーなどで

一緒に確認するのもいいかもしれませんね。

 

これらの工夫は、できれば、特別な時に急に提示するのではなく、

普段から少しずつ取り入れておくと、子ども達にとってわかりやすく、

安心して活動できる環境になります。

 

簡単なものでいいんですよ!

特に切り替えの難しいこと(お外遊びはおしまい→おうちに帰るよetc.)だけ、

絵を描いたり、写真を印刷しておいたりするのでも十分です。

 

 

ご参考までに。

当センターにじチーム(2〜3歳児少人数クラス)で提示している予定表です。

ホワイトボードに順番に貼ることもあれば、次の活動のカードだけを見せることもあります。

初めて提示される時は、1つか2つの予定を見せてあげる方が分かりやすいと思います。

これらは、お子さんが次の予定が分かり、納得して行動できるためのものとして活用しています。

(大人が一方的に出しても効果は見込めないことがありますので、ご注意くださいね。)

 

※次回のことばの種は、年末年始の休業をはさみますため、年明けの4日に掲載いたします。

 皆さまよいお年をお迎えください。

いろいろな「ことば」のあり方

数年前に「アイスバケツチャレンジ」で話題になったALS(筋萎縮性側索硬化症)をご存じでしょうか?

少しずつ手足が動かなくなり、症状によっては発音や発声が難しくなる場合もあります。

 

体が動かなくなっても意識や認知機能が保たれることが、この病気の特徴の1つですから、

会話ができなくなる前に、声以外でのコミュニケーション手段を確保することが重要です。

 

そこで、コミュニケーション手段として活用するのが、眼球運動です。

 

例えば、「YES」なら左を見る等のサインを決めたり、五十音表等を見ながら、

注視した文字を介助者に読み上げてもらったり…。

 

声にはならなくても、これらは大切な「ことば」です。

 

とはいえ、倦怠感や痛みがあったり、病状が進行していくことへの精神的な苦しさがある中で、

新たな手段を訓練していくことに、前向きになれない患者さんは多くいらっしゃいます。

 

そんな中で、訓練をがんばる原動力として、大切なものが2つあります。

 

1つは、伝えたい「思い」です。

ご家族への感謝の気持ちであったり、身のまわりの介助に関する要望だったり…。

 

2つ目は、その方法で「伝わる」という自信、「伝わった」ことによるメリットです。

新しい方法を試して、伝わりづらいとき、相手に遠慮して伝えることをためらったり、

「どうせ伝わらない」と諦めてしまったりする患者さんはとても多いです。

 

これらの2つのことは、ALS患者さんだけでなく、コミュニケーションを望むすべての人にとって大切です。

 

もちろん、言語習得期の子ども達にとってもです。

泣いたり、怒ったり(時には叩いたり、噛んだり)して、人に伝えたい「思い」が出てきたら、

次は「伝わる」喜びを経験させてあげましょう。

「こうしたかったんだね」「悲しかったね」などと、気持ちを代弁してあげることで、

「伝わった」「わかってもらえた」ということを、子ども自身が実感することができます。

 

そして、より適切な伝え方(泣く、怒るから、ジェスチャーや「ことば」)ヘシフトできるように、

導いてあげたいですね。

子ども達なりに伝えた時、「わかってもらえた!」「思いがかなった♪」という経験を積んでいくことで、

「ことば」は身についていきます。

 

何と言いたいのか読み取れない時には、状況から推測して「○○かな?それともこっち?」と

確認してあげたり、ただ相槌を打ってあげたりするのでも、十分やりとりの楽しさを味わうことは

できると思いますよ。

 

「ことば」ってなあに?

あるお友だちのお話です。

声に出しての「ことば」は、まだ少ないのですが、

実はたくさんのことばを知っています。

 

ひらがなや数字、アルファベットも読めます。

 

今は、両手の指でアルファベットの形を表すのが「マイブーム」で、

職員の手をとって「こうするんだよ」と言うように教えてくれます。

 

それならば、指文字(指の形でアルファベットや数字、五十音を表す視覚言語)

もできるかしら?と、保育室に表を貼ってみたのですが、

今のところ興味はないようです。

 

ところで、聴覚に障がいのないお子さんに、指文字や手話を教えることに、

意味はあるでしょうか?

 

私は、「本人が楽しめるのなら」という条件付きで、意味のあることだと

思っています。

 

「ことば」とは何か?と考えるとき、1つには意志伝達の手段というのが、

大きな役割といえます。

もっと習熟すれば、単に要求を伝えるだけでなく、お互いの思いを伝え合う等、

コミュニケーション手段にもなります。

他にも、自分の気持ちを言語化して整理したり、考えを深めたり、

ことば遊びを楽しんだり…。

 

いろいろな役割を持つ中でも、やはり他者とつながるための「架け橋」的な

役割が基本であり、重要であると考えます。

 

そうすると、意思表示の手段は必ずしも音声言語でなくてもいいかな?と思います。

ジェスチャーでも、手話でも、文字でも…。

表情の変化だって、周囲の人が上手に読み取ることができれば、十分に伝達方法と

なりえます。

それらの手段の1つとして、指文字や手話があってもいいでしょう。

(無理に教える必要はないんですよ!)

 

まずは伝わることが大切!

家族の中だけで通じる身振りや発音でもいいんです。

それらは十分に「ことば」の代わりになりえます。

 私たちは、そうしたお子さんそれぞれの意思伝達を読み取り、

反応を返せるように努めます。

 

そして、身近な人と通じ合い、伝わることを楽しめるようになったら、

「万人に伝わる」こともまた大切な要素です。

より大勢に伝わる手段を得られれば、子ども達の世界は広がりますよ。

友だちのお話

私の友人は、補聴器🎧を使っています。

小学校の入学式の日に出会った彼の第1印象は、

なんだかカッコイイ「メカ⚙」を身に付けている、

体と声の大きい男の子でした。

 

私が生まれて初めて出会った「障がい」のある子どもだったのでしょうが、

内緒話がしづらい以外は、ごく普通の友だちです。

聞き取りにくい時には、本人から「もうちょっと大きい声📢で」とか

「ここ(補聴器のマイク🎤)に向かって話して」とか、対応方法を伝えてくれるので、

特に不便なくコミュニケーションを取れます。

(友人自身も「不便なく」と感じてくれているといいなと思います。)

 

ところで、私は小学校に入学した時、幼稚園より先生の指示や説明が

わかりやすいと感じたのですが、ひょっとしたら、この友人のおかげだったかも

しれないと、最近思っています。

 

おそらく先生たちは、保育園の頃から補聴器を使用していた彼のために、

視覚支援👀を多く取り入れるように意識していたでしょう。

 

一般的な小学校1年生のクラス運営と、どのくらい異なるものだったかは

わかりませんが、口頭での説明や指示を必ず板書されていたのを覚えています。

あらかじめ用意されたイラストや写真📷を黒板に貼ることでの説明も

多かったと思います。

クラス全体に向けて、挙手✋を促したり、お返事を求めたりすることで、

理解できているかどうかの確認もしてくださっていました。

 

そのおかげで、先生の説明はわかりやすく、また、理解しづらいまま

置いてきぼりになることなく、小学校生活を送ることができました。

 

「聞こえにくい」子どものために合理的配慮がなされると、

「聞こえる」子ども達にとっても、大人のお話や、活動の見通しがわかりやすく、

心地よい集団生活を送ることにつながります。

 

学校だけでなく、家庭や職場などでも、こうした配慮が自然に行われれば、

聞こえだけでなく、知的能力や認知特性など、様々な「わかりづらさ」を

抱えたみんなにとって、より生きやすい世の中になりますね。