友だちのお話

私の友人は、補聴器🎧を使っています。

小学校の入学式の日に出会った彼の第1印象は、

なんだかカッコイイ「メカ⚙」を身に付けている、

体と声の大きい男の子でした。

 

私が生まれて初めて出会った「障がい」のある子どもだったのでしょうが、

内緒話がしづらい以外は、ごく普通の友だちです。

聞き取りにくい時には、本人から「もうちょっと大きい声📢で」とか

「ここ(補聴器のマイク🎤)に向かって話して」とか、対応方法を伝えてくれるので、

特に不便なくコミュニケーションを取れます。

(友人自身も「不便なく」と感じてくれているといいなと思います。)

 

ところで、私は小学校に入学した時、幼稚園より先生の指示や説明が

わかりやすいと感じたのですが、ひょっとしたら、この友人のおかげだったかも

しれないと、最近思っています。

 

おそらく先生たちは、保育園の頃から補聴器を使用していた彼のために、

視覚支援👀を多く取り入れるように意識していたでしょう。

 

一般的な小学校1年生のクラス運営と、どのくらい異なるものだったかは

わかりませんが、口頭での説明や指示を必ず板書されていたのを覚えています。

あらかじめ用意されたイラストや写真📷を黒板に貼ることでの説明も

多かったと思います。

クラス全体に向けて、挙手✋を促したり、お返事を求めたりすることで、

理解できているかどうかの確認もしてくださっていました。

 

そのおかげで、先生の説明はわかりやすく、また、理解しづらいまま

置いてきぼりになることなく、小学校生活を送ることができました。

 

「聞こえにくい」子どものために合理的配慮がなされると、

「聞こえる」子ども達にとっても、大人のお話や、活動の見通しがわかりやすく、

心地よい集団生活を送ることにつながります。

 

学校だけでなく、家庭や職場などでも、こうした配慮が自然に行われれば、

聞こえだけでなく、知的能力や認知特性など、様々な「わかりづらさ」を

抱えたみんなにとって、より生きやすい世の中になりますね。