2023年2月の記事一覧
「ない」は難しい…
数学の世界において「0」という概念が
発見されたのは7世紀のインドと
言われています。
人類の歴史から考えると、意外に新しい
出来事です。
「ない」「ゼロ」ということは、
それだけ認識しづらい概念なのでしょう
ね。
先日、降園のバスに添乗していた時の
ことです。
3歳のAちゃんは、上機嫌で歌って
いました♪
たくさんの歌を知っていて、とても上手
だったのですが、
1曲だけ「ん?」と感じたのが、
「カエルの合唱🐸」です。
カエルの鳴き声のところ、「くわ♪」の
回数が多くて、なんだか忙しそうです。
よく聞いていると、どうやら「休符」が
ないんですね…。
「お休み」「音・歌詞がない」という
状態が認識しづらかったのでしょう。
そういえば、昔々ピアノを習い始めた頃、
音符を「♩タン♫タタ」等とリズム読み
をする中で、休符の部分を必ず「ウン」
と声に出して読むように指導されたよう
に思います。
「音がないところなのに、どうして
わざわざ声に出すんだろう?」と不思議
に思っていたのですが、「音がない」こと
を意識するための工夫だったのでしょうね。
実は、「ない」が意識しづらいのは、歌
の場合に限ったことではありません。
お子さんに対して、「走らないで🏃」
「立たないで❗️」「触らないで🚫」等、
「〜しない」という言い方をしていま
せんか?
この言い方、大人にとっては自然な表現
なのですが、小さな子どもにとっては
少し難しいようです。
「〜しない」のは分かった。
じゃあ、どうすればいいの?
…といったところでしょうか。
「歩いてね🚶」「止まって🅿️」
「手はお膝だよ」など、具体的にする
ことを伝えてあげた方が、子どもに
とっては応じやすいです。
「子どもが言うことをきかない」のは、
反抗しているわけではなく、どうすれば
いいのかわからなくて困っているのかも
しれません。
子どもにとって「伝わる」「わかる」
方法で、伝えることを意識していきたい
ですね。
「ない」は、7世紀以前には大人ですら
知らない概念だったことをお忘れなく。
「机」なのか?「椅子」なのか?
大学時代に言語学の先生から聞いたお話です。
「ことばは単に物の名称を表す場合と、
意味(用途)を表す場合がある。」
ヨーロッパへの留学経験のあるその先生は、
小柄な方でした。
日本に比べ平均身長の高いヨーロッパのバー
には、浅く腰掛けるタイプの丸椅子が多かった
そうです。
長身な欧米の方が、床についた爪先でバランス
を取るように座る、スタイリッシュな高い椅子
です。
…日本人としても小柄だったその先生には、
高すぎて座面に届かなかったそうです。
「それは椅子という名前のついた物体だったけれど、
意味的には椅子ではなかった。
わたしにとっての椅子は(そのお店では)
ワインの空き箱だった。」
こんなことを思い出したのは、保育室にある
ピンク色の机がきっかけです。
この机、どういうわけか、子ども達がやたらと
座ったり、上に乗ったりするんです💦
普段、他の机には座ったりしない子も、
このピンクの机にはヒョイっと座ってしまうことが
あります。
なぜかしら?と、見ていると、この机、子ども用の
椅子の座面と同じくらいの高さなんです。
上述の言語学の先生と同じようなことが
起こっているんですね。
ピンクの机は、大人にとっては「机」でも、
子ども達にとっては「椅子」なのでしょう。
子ども達が座るのももっともです。
だって、彼らにとってそれは椅子なんだから。
でも、「座っていいよ。椅子と同じ高さだもんね」
という訳にはいきません。
では、どうするか?
それは、年齢や発達段階によって違います。
例えば4、5歳のお子さんなら、「これは
机だよ。降りて」と、繰り返し伝えます。
「ダメ❗️」「座らないで」(禁止)ではなく、
「降りて」と、今してほしい行動を具体的に
伝えるのもポイントです。
2、3歳のお子さんなら、使わない時には
目につかないところに片付けます。
声かけを理解したり、応じたりするのが
まだ難しいお子さんには、してほしくない行動
(机に座る)を誘発する刺激(座りたくなって
しまう高さの机)を、除去することも有効です。
これには、その行動を習慣として学習しまうこと
を防ぐ意味もあります。
他の場面でも、例えば思いが叶わなかった時や、
注意を引きたいときに、大人やお友だちを
叩いてしまうお子さんの場合。
どうやって伝えたらいいのか、自分を見て
もらうにはどうすればいいのか、わからなくて
手が出てしまうことがほとんどです。
「イヤだったんだね」「こうしたかったんだね」
と、気持ちを受け止め、代弁したり、
「ナデナデだよ」と手をとって撫でさせるなど、
具体的な行動を示すことで、望ましい
学習することができます。
ただし、叩いたら思いが叶ったということが
たびたびあると、叩くことがコミュニケーション
の手段として定着してしまうこともあります。
「叩いた」という経験をしてしまう前に
制止してあげたいですね。
子ども達が、大人から見て「よくない行動」を
する時には、大抵、何かしら理由があります。
また、「子ども」は、大人に比べ、経験も知識も
ずっと少ないですから、どうすればいいのか
知らなかったり、間違って覚えていたりすることも
あります。
大人とは違う見え方(ピンクの机が椅子に見えるなど)
をしていることもあります。
それぞれの「理由」に応じて、望ましい行動が
できるよう、支援していきたいと考えています。
「感覚の違い」への気づき方
カマキリの音色✨の話題、今回で最終
です。
他者と違った感じ方について、その内容
や影響をお話してきました。
でも、まだ自分でしっかりお話できない
子どもの場合、わたし達大人はどんな
ことから気づいてあげることができるで
しょう?
いくつか、手がかりとなる行動を
挙げてみますね。
①聞こえ方
・カミナリ・風船の割れる音など、
大きな音や突然の音で泣いたり、大人に
しがみついたりする。
・高い音(ピアノ、子どもの泣き声等)
を聞くと怒ったり、その場から逃げ出し
たりする。
・耳をふさぐ。
②見え方
・明るいライトや太陽の光に目をパチパチ
する。
・目を合わせるのを避ける。
・片目を閉じたり、覆ったり、目を細め
たりする。
③その他(味覚、嗅覚、触覚等)
・偏食が多い。
・色々な食材の混ざった食べ物が苦手。
・見えないところで(後ろから、机の下
等)触られるのを嫌がる。
・散髪・爪切り・歯磨き等を嫌がる。
・特定の服を着ない。または、特定の服
しか着ない。
・感触を楽しむ遊び(粘土や絵の具等)
をしない。お友達がしているのを見ても
怒る。
・乗り物に酔いやすい。
・ブランコや滑り台などの、動きのある
遊具に誘っても遊ばない。
これらは、他者と違った感じ方(感覚
過敏)のある子ども達によく見られる
行動の一部です。
…とはいえ、例えば「歯磨きを嫌がる」
なんてよくあることですよね?
お気に入りの服しか着ないことだって、
大抵の子どもが成長過程で一度は通る道
です。
大切なのは、子どもの行動で、大人が
「困った」と思うことには、その子なり
の理由があるかもしれないと思って
受け止めてあげること。
そして、それらの行動が、どのお子さん
にもよくある「イヤだよ👅」なのか、
どうしても許容できない「助けて!」
なのか、観察してみましょう。
もし、他の「イヤだよ👅」とは違う
反応をしているように感じるなら、
その子の望む対応を試行錯誤してみると
いいのではないでしょうか?
(その場から遠ざかるなど、嫌いな刺激
を避けたい?それとも、身体に触れる前
にことばや絵で予告するなど、見通しが
立てば許容できる?)
さて、大人が困っちゃうようなその行動、
子ども自身は、本当は何に困っていて、
わたし達に何を訴えているのでしょうね?
みなさん、お子さんのお困りの行動が
あれば、ぜひお寄せください。
一緒に理由や対応を考えていきましょう!
「やさしい日本語」
松山市内で行われた、国を越えて防災を考える行事に
参加しました。
その中で、日本語で書かれた防災情報(難解な表現が
多いですね…。)を、他言語話者に伝えるというワーク
がありました。
日本語以外を母語とする方に伝わりやすい、日本語表現
を「やさしい(易しい&優しい)日本語」と呼ぶそう
です。
その「やさしい日本語」のポイントとして挙げられた項目
が、子ども達に伝わりやすい話し方とも共通すると感じた
ので、ご紹介します。
①1つの文を短くし、簡単な構造にする。
文が長く、構造が複雑になると、結論が分かりにくく
なりますね。
最後までお話を聞かないと結末が分からないので、
話し終わるまで我慢して聞く必要があります。小さな
子どもにとってはしんどいです。
②難しいことばは、簡単な語彙に言い換える。
含まれることばの意味がわからないと伝わらないです
よね。
音声言語だけでなくジェスチャーやイラストなどで
伝えることも有効です。
③文末はなるべく統一する。
日本語学習の初期は「です・ます」調で習うため、
「です・ます」で統一した方が伝わりやすいそうです。
日本語圏で生活する幼児の場合は、「です・ます」調
である必要はありませんが、尊敬語、謙譲語、その他の
文末表現での細かなニュアンスは伝わりにくいかも
しれませんね。
④曖昧な表現は使わない。
結論が分かりづらくなります。
小さな子どもも、「ちょっと」とか「少しだけ」と
いう表現は苦手なことが多いです。
「10数えたら」「1つだけ」など、具体的な数値
を示してあげると分かりやすいですね。
他言語話者と、子どもたち。
全く同じというわけではありませんが、日本語学習初心者
という点では共通するところがあります。
異なる分野からも、学ぶことがたくさんあるなと感じた
経験でした。